2009年2月 2日 (月)

カトマンズ①

Dscn3641ネパール側国境の町スノウリ。門を叩いて、宿で少し休ませてもらう。6時前、何食わぬ顔で国境を戻り、再びインドへ。無事にイミグレを済ませ、初めて来ましたけど?的な面持ちで、今度は正式にネパール入国。そのままカトマンズ行きのバスに飛び乗った。

Dscn3659走ること5時間、とある町でバスが止まりようやく休憩。尻はすでに悲鳴をあげている。もうかれこれ、ずいぶん何も食ってない。腹が減ったが、お金をネパールルピーに替えてない。水も残り少し。出発すればあと5時間ほどで着くはずなので我慢することに。1時間が経過し、2時間、3時間が経過。ネパール人の休憩は長いなぁと感心する。

待っていると、次々にこの町にバスが停車し、ものすごい数のバス列ができた。なんじゃい!?と思て、ドライバーに聞いてみると、

「ストライキだ。」

(ネパールでは反政府軍によるストライキでしょっちゅう道路が封鎖するらしい。)

「開通の見込みは?」

「さあね。30分後に開かなければ、3時間後だろう。」

「また3時間かいっ!!!」

彼に言っても事態が変わるわけではないので、これ以上何も言うまい。

意味もなく売店におもむき、水やスナックの値段を聞いたり。インドルピーしか持ってないことを伝えると、なんとそれでOKとのこと。

インドルピー使えるんかいっ!!

Dscn3660僕は真っ先に水を買って、食堂で焼きそば的なものを食す。腹が減りすぎて、食堂のおばちゃんが神様に見えた。

結局しっかりと3時間待たされた。今度こそカトマンズへ、と思ったら、僕らの左に座ってる娘がいきなり絶叫しだした。ストライキ明けがそんなに嬉しいんかぃ、思ったら右肩に手をやり、苦痛に顔を歪めてる。車内は大騒ぎ。

わぁわぁ。

ストライキで塞がった橋を特別に通してもらい、病院へと向かう。治療の結果、どうやら脱臼だったらしい。大けがに至らなかったのはよかった。

この半年後、オーストラリアで彼女と奇跡の再開を果たすことになるのだが、それはまた別の話。(オーストラリアちゃりんこ横断ページ参照)

バラナシを出発して30時間、午後11時にカトマンズに到着。疲れたぁ。タクシー代で一悶着ありつつ、とりあえず市内まで行き、クッキーとマンゴージュースで空腹をごまかす。ここは一国の首都。あたりはざわついてるけど、なんとなく暗い。

安宿を見つける。宿の中はもっと暗い。節電かぁ、と感心。宿の兄ちゃんがキャンドルに火を灯して扉を開けてくれる。インド人にはいないタイプの、やさしそうなおっとり系の兄ちゃん。ホットシャワーはあるらしぃ。

シャァッ!

Dscn3665_2キャンドルの火が消えないようにゆっくり歩く兄ちゃんの後をつけ、部屋に入ると、電気をつけることもせず、兄ちゃんはキャンドルをそのままテーブルの上に置いた。

まさかっ Σ( ゜Д゜)ハッ!

兄ちゃん曰く、この町は停電してるらしぃ。電気が使えるのもホットシャワーが使えるのも2時間後。

意識が遠のく。

あぁホットシャワ~。

待てない。

寝るzzz。

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2009年2月 1日 (日)

バラナシ

サトナのレストランで、ドイツ人と店員がちょいとモメつつも、みんな無事に列車に乗ることができた。その中で、僕ともう一人の日本人大学生だけ最低クラスの席だった。僕らが持っているのは、キャンセル待ちのチケットだが、カジュラホのチケット売り場のおっちゃんは「絶対座れるからだいじょぶだ!」と、言ってた。

Dscn3480_2おっちゃん、いい席座れたよ・・・

ドアが開くとちょっと寒くて、目の前のトイレがちょっとアンモニア臭くて、シートがちょっと硬いけどね。

時間の流れを遅く感じながら、立ったり座ったり、本を読んだり読まなかったり。しかし、列車がちょくちょく停まってなかなか思うように進まない。駅も何もないとこで、1時間くらいは平気で停車しよる。

近くに座っていたおっちゃんが「お前のガイドブックを見せてくれ」という仕草をした。僕は、これをきっかけに、「まぁ、そんなとこ立ってないでこっち座れや」的なお誘いを期待して、笑顔でブックを差し出したのだが、数分で返されて、彼は寝てしまった。

「なんもないんかいっ!」

と心の中でツッこむことすらできないくらい、頭の中が「つらい、眠い」でいっぱい。唯一、停車中に外に出て見た満点の星空だけは、僕の心を潤してくれた。サトナから5時間くらいで着くもんやと思ってたが、結局15時間かかった。

Dscn3589やって来たのはバラナシ。とにかく人と活気で溢れかえっている。

Dscn3489ガンガー。宿から眺めているだけで一日が過ぎてしまいそうになる。ゆったりと流れる大河が人の騒々しさを感じさせない。こんな神秘的な町、今までに見たことも訪れたこともない。

Dscn3506マニカルニカー・ガート(火葬場)。案内してやる、というおっちゃんについていって、建物の屋上から火葬場をずっと眺めていた。きれいな布に包まれた遺体が次々と運ばれ、薪を使って焼かれ、遺灰はガンガーに流される。いたって淡々としており、いかにも“作業”って感じ。しかし、ここには紛れもなく「幸福」が宿っている。

ガンガーで最期を迎えられる「幸福」・・・

なんてことを考えている僕の横で、案内人のおっちゃんは、何やかんやとべらべらべしゃってるわけで・・・

Dscn3625ガンガー沿いのチャイ屋。1時間に1杯は飲みたいチャイ。1杯6円のチャイ。前のお客さんが飲み終えたコップに、そのまま注がれる。

Dscn3502サドゥー。ヒンズー教の聖地には彼らがわんさといる。わんさと。

宿で出会った日本人の女の子とネパールに行くため、バス停に向かう。夕方のバラナシは人でごった返しており、リクシャーは一向に進まない。僕らはイラつく。しかも着いたと思ったら、バス会社ではなく、駅だった。僕らはブチ切れる。運賃支払いを拒否して、力技で別のリクシャーに乗り換え、ようやくバス会社に到着。集合時間を過ぎている。僕らは、遅れたことを必死に説明・弁解する。バス会社のおっちゃんは笑顔で冷静にいう「次のバスあるからだいじょぶだ」と。拍子抜け。

Dscn3640_29時間おんぼろバスに揺られた。どうやら国境の町スノウリに着いたらしい。時刻は午前3時。ん~正直しんどいけど、行くしかない。あたりは霧深く、薄暗くて不気味。イミグレーションのおっちゃん2人がハンモックですやすやと寝ており、出国できない。力づくで起こしても、「6時からだ」とだけ言って寝る。

おいぃ!!寒いよおっちゃん。

スタンプだけでも押してと言っても全く聞かない。仕方ないので国境をそのまま素通り。

おお!!通れた。

インド終

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2008年9月25日 (木)

もう一度考える、ブログの意義。的なこと

こんにちわ。

といっても、もはや誰が見ているのか、このブログ。と言わんばかりに、気軽に数ヶ月も放置してしまう日が続きますが、気づいたら日本の約地球の裏側の南米の端っこのほうから、帰ってきてかれこれ1週間が経ち、ようやく時差ぼけも直り始めた今日この頃。だいたい、こういう放置プレイが続いた後に、それ自体の存在意義を唱えるのは、執筆者の常套手段のような気もするけど、それはさておいて

このブログの存在意義ってなに?

最初の頃に、自分自身の旅の記録を残すため、と動機付けした記憶があるけど、そもそも旅の記録を残す目的が今ひとつぱっとしないのが、最近の正直な気持ち。

たとえば、マラソンや自転車の旅なんかでは、ある程度以上の技術的な面や現場でしかわからないあらゆる面を文章で公に残すことで、それを参考にしてくれる人のためにおおいに役にたつことができる。これは執筆する側としても、おおいにやりがいになる。

しかし、バックパックを背負って普通に貧乏旅行したことを、ここに残すのは果たしてなにになるのか?

多少の経験の差はあれど、同じようなことをしたブログやHPは他にもいっぱいあるのはまちがいない。かといって、日々の日記をブログに記すようなことは、苦手だしめんどくさい。

となれば、過去の投稿記事はともかくとして、最近の記事やこれから書く記事は、何の意味があるのかよくわからなくなってきた。

人が動くには動機付けが必要である。

特に僕の場合はそうかもしれない。かといって、考えすぎるのもよくないところなのかも。この記事を書きながら、そもそもそもブログの意義とかいうもの自体、考えるのが面倒になってきたので、答えは出ないまま、しばらく「気が向いたら書く」的なスタンスでやっぱり行こうと、残念な妥協点に収束した今日この頃でした。

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2008年7月25日 (金)

カジュラホ②

Dscn3298_2カジュラホ遺跡群。つい170年前までは、ジャングルの中だったらしい。ここの遺跡は官能美を描いた彫刻がむちゃくちゃ精巧に作られている。お見事なり。

Dscn3334この街はとっても居心地が良い。宿は安い、飯も安い、街のサイズも小さくて、人の多さもほどよい。ん~、沈没ぅ。

Dscn3409カジュラホ・ガイたちは写真がお好き。チャリで離れの遺跡に行った帰り、「わしらを撮ってくれ」とカメラに群がるガイたち。人の良さもこの街の魅力。

Dscn3440とにかく通り過ぎてく人たちをずぅっと眺めてみた。歩く姿を見てると、彼らの美しさがひときわ際立つ。誰もかれもが胸を張って、まっすぐ前を見つめ、色鮮やかなサリーを纏いながら、裸足で地をしっかりと、かつ軽やかに踏みしめる。日本では、都会にも田舎にも見られない、独特のスピード感で。もはや存在がアートやな。

Dscn3454この宿、けっこう親日。カジュラホに着いたときに勧誘してきた怪しいおっさんも、オーナーも日本語ぺらぺら。日本語ぺらぺらはたいがい怪しいけど、どうやらここは親日がゆえみたい。ここのオーナーはかなりのお金持ちらしく、いくつもビジネスを手掛けてて、一年のうち半分以上はぶらぶらと海外旅行してるらしい。日本にもお店をいくつか持っているので、日本語が話せるらしい。店名が「NATRAJA」つう、神戸三宮にかまえるインド料理屋の名刺をいただいた。

また彼は、資格も弁護士から旅行ガイドまでいろいろ持っているのだとか。彼に聞いたところ、インドではガイドの資格は弁護士より難しく、権威あるもので、受験資格が30歳までという年齢制限や一度落ちたら数年間は再受験ができないことから、生涯1度か2度しかチャンスがない資格らしい。僕は、カジュラホに来るバスで会ったガイドを志す大学生くんを思い出した。大学生くん、がんばれ!

Dscn3457_2サトナ行きのバス。出発して10分くらいたったろか、ドンっと音がした。車内がざわつく。ドアが開くと「ママー、痛いよ~」と泣き叫ぶ、血だらけのおっちゃんが運ばれてきた。なんとこのバス、バイクを轢きやがった。急きょUターンして、病院へ。しばらくすると、再出発かと思いきや、バス停に戻ってきてしまった。そこで「今日はもう出ない」の一言。ちょい待たんかいぃ。次のバスではサトナ発の列車に間に合わない。ツーリストは猛反発。

1時間後、金はかかるがツーリスト同士で車をチャーターすることになった。このチャーター車がむちゃくちゃ飛ばしよる。おまけに道路が未舗装なので、しょっちゅう天井に頭をぶつける。なんか楽しくなって、道中はしゃいでた。結局バスで5時間かかるところ、2時間で着いた。

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2008年6月 6日 (金)

カジュラホ①

Dscn3219列車はジャンシー行き。流れ行く景色をアホみたいにボーっと眺めてみる。この時間がとても幸せだったりするかも。

Dscn3233アグラを出て4時間、終点のジャンシーに着いた。みんなが降車の準備をしだし、まわりがガサガサと騒がしくなる。この空気の変化が、次なる展開へ、僕の気持ちを高めてくれる。

ジャンシー駅からバスに乗り換えなければならないが、どちらの出口に出ればいいのかわからない。かといって、安易に人に尋ねても正しい答えが返ってくるとは限らない。

まっ、いいか。

勘で出てみた。群がるリクシャードライバーが僕を引っ張る。わーわー言いながら引っ張る。適当なドライバーを見つけて、「カジュラホ行きのバスに乗りたい」と告げ、バス停まで彼に身を任せる。

途中、彼はリクシャーを止め、「カジュラホ行きのバスはもうない。今日はホテルに泊まれ」と言ってくる。彼のねらっていたかのような誘いに、僕の第6感がざわめき、「とにかくバス停まで行ってくれ」と告げる。それでも彼はしつこくホテルへ誘おうとするが、「バス停行かないとお金払わないよ」とだけ言って、あとは無視した。

なんやかんやでバス停っぽいところに着いたが、人が多くてどうすればバスに乗れるのかわからない。だから、僕はカジュラホ行きのバスに乗れる可能性が最も高そうな方法を採った。

おっちゃんがリクシャー代のお金を請求してくる。僕は「バスのチケットが手に入ったら、お金を払うよ」と言った。おっちゃんは若干渋い顔をしながらも、「着いて来い。」という合図をした。バス窓口のおっちゃんと、リクシャーのおっちゃんがやりとりするのを後ろから眺めていると、リクシャーのおっちゃんが僕にバス代を払うように言ってきた。どうやら無事にバスに乗れそうだ。さらにカジュラホ行きのバスに二人で乗り込み、座席まで案内してくれたおっちゃん。

これでおっちゃんとはお別れだ。僕はおっちゃんに「ステキなガイドだったよ!」と言って、リクシャー代にチップをつけてお金を払った。ニッコリと笑っておっちゃんは去っていった。

Dscn3243最初は鬱陶しくても、うまく付き合っていけばいい人が多いんだと、バスに揺られながら改めて思ったのだった。

それにしても、バスからの眺めは動物のいないサファリパークそのものだった。そもそも動物のいないサファリはサファリなのか?という疑問はさておいて、こういう風景は、僕に余計な思考を排除してくれるから、とても楽な気持ちになる。

不思議なもんで、村も人も何もないところで人が降りたり、乗ったりする。彼らはどこから出てきて、どこへ去っていくのだろうか。

Dscn3252唯一町といえるところで、大学生くんが乗り込み、僕の隣に座った。彼はカジュラホ生まれカジュラホ育ちだという。僕はそれを聞いて初めて、標識も案内もない、このバスが間違いなくカジュラホに向かっているんだと初めて確信した。

とても優しい表情の大学生くんと話しているととても癒される。彼は大学で観光学を学んでおり、将来はツアーガイドになって、カジュラホの観光産業に貢献したいと爽やかに語る。

相変わらず僕と大学生くんはお話が尽きなかったが、ふと気づくと、いつの間にやら外は真っ暗になっていた。窓を開けて景色を眺めると「すげぇー!」と声を上げるほどの満天の星空だった。窓を開けて顔を外に出し、上を向いたまましばらく星空を眺めた。良い子は絶対にマネをしてはいけない、あの姿勢で。

ジャンシーを出発して約6時間、バスが停止した。カジュラホに着いたらしい。バスを降りると、人が群がる。特に唯一の外国人である僕にゲストハウスの客引きがわんさか群がる。その中に唯一日本語を華麗に話すインド人がいた。もじゃもじゃに髭を生やし、ドス低い声で日本語を巧みに操る彼は、どう見ても怪しい。あろうことか、そんな彼に僕はなんのためらいもなく付いていった。

「あぶないねぇ、あぶないねぇ」と彼はドス低い声で、ひたすら僕にそう言う。そんな彼が最も怪しいのはもう言うまでもない。

15分くらい歩くと、明るく賑わっているところに出た。その一角にゲストハウスはあった。ドス低い声のおじさんに事前に値切っておいた安い値段で泊まれることを再確認してチェックインを済ませた。

Dscn3258めちゃめちゃ安い割りに、わりかしいい部屋だった。なんだか今日は疲れたので、ゲストハウスの屋上に上り、ビールに舌鼓を打つこととした。

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2008年5月29日 (木)

アグラ

Dscn3097デリーから5時間、アグラー・カント駅に着いた。駅から少し離れたところでリクシャーを拾おうと思い、しばらく歩いていると、いつの間にかリクシャーを捕まえるタイミングを逃してしまい、結局、街の中心地まで歩くことにした。

1時間くらい歩いただろうか、とある青年に声をかけられ、タージマハルのところまで行きたい旨を伝えると、「こっちじゃない。俺について来い。」というので、ほんとかよ、と思いながら付いていった。

おせっかいに宿も紹介するというので、案内してもらい、2軒目に紹介された宿に決めた。理由は2つ、値段(約225円)と宿からタージマハルが見えること。

宿のおじさんに言われたのは、「あの青年は気をつけろ、危険だ。」とのことだった。そういうおじさんもよっぽど怪しい顔をしている。

Dscn3108僕は真っ先に屋上に上ってみた。そしたら、見事にタージマハルが顔を覗かせていた。

2時間ほど眠ってから、実際に観に行くため、門のところまで行ったが、どうやら今日は閉まっているらしかった。

Dscn3116翌朝、再び門のところまでやってきた。この先に、大きなタージマハルがあるとは思えないほど、門の前は道が狭く、ごちゃついてる。

中に入ると、広々としたところにまた門があり、それを潜り抜けるDscn3122と、そこには圧巻の別空間が広がっていた。

神秘に包まれた大きさと美しさと存在感に、単純に驚くばかりだった。

Dscn3190その後は、アグラ城に行き城壁の壮観な風景に感心したり、ジャマーマスジットという礼拝堂で、そっと影から礼拝を眺めてみたりした。星飛雄馬の姉(明子)のように。

Dscn3196ちょいと疲れたら、お気に入りの食堂でバナナラッシーをいただくのである。テレビで流れるクリケットの試合を食い入るように見る、市民の姿がなんだかたまらない。

Dscn3209翌朝、ふたたびアグラ・カント駅にいた。

僕はカジュラホを目指す。

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2008年4月24日 (木)

デリー

インドはデリー国際空港に到着。ここまでの空の旅は、人生で始めての乱気流だった。そこいらのジェットコースターよりはおもろかったな!

Dscn3016深夜2時。とりあえず朝になるまで、機内で仲良くなった日本人大学生2人と空港のターンテーブルで過ごすことにした。柵の向こうにはインド人が群がって、ギョロッとした目でこちらを見てくる。そんな環境の中で、両替したり日記書いたり思い思いに過ごした。

早朝5時、僕らは空港の外に出てみた、群がるインド人を掻き分けて。外は薄暗くて寒くて不気味。市街地まで最も安く行くため、市バスの時刻を聞いたら、2時間後だと言われた。

本当かいな?って思ってたら15分位してバスが来た。50ルピーで市街地まで。

ニューデリー駅でバスを降りると、またインド人が群がる。

「駅はあっちだ、ついて来いっ!」と言って、駅の反対側を指す奴がいれば、駅を反対側まで渡ろうとすると、「入場料を払え」としつこく突っかかってくる奴もいる。

駅を越え若干迷いながらも、パハールガンジーという名の安宿街を見つけた。そこで、適当な宿を見つけ、チェックインを済ませた時には既に6時を回っていた。

8時、外はすっかり明るくなったので眠ることなく僕らは出かけた。

Dscn3037_7ふらふら歩いてると、ちょっとした裏通りに入った。細い道に、家とは言いにくい家が建ち並ぶ。その道の脇を軽やかに上ってみると、線路に出た。

Dscn3035線路の上には、ゴミやウンコが散乱している。後でわかったことだがインドの列車内のトイレは垂れ流しだ。そら、うんこの一個や二個は転がってて当然。

人々は列車を降りるや否や、線路の上を歩いて各々の帰路に着く。

Dscn3042ぼちぼちカレーでも食おうかってことになった。さっそく右手で食ってみたが、熱くて辛くてどうしようもなかった。右手がヒリヒリ痒くなったので、以来スプーンという先進的食器で食べることにした。

Dscn3041←食後にこんなものをつまんで食べてみるが、なんのこっちゃない、若干ミントな感じの種かなんかみたい。

カレー屋を出ると、リクシャー(三輪タクシー)を捕まえてオールドデリーと呼ばれる区域を観光して回った。ジャマーマスジットという礼拝堂では、門番に「CLOSEDだ」と入場を何度も断られたが、彼が背を向けた瞬間を逃さず、サッと入ってみせた。その周辺は迷路のように道が複雑で、迷ったりもしたが、夜にはパハDscn3089ールガンジーに帰ってくることができた。

晩飯に出店で鶏肉の炙ったものを食った。ほとんど食べたところで、よく見ると肉が赤く、中まで焼けてないことに気づいた。

ゲゲッと思ったが、手遅れなので見なかったことにして完食することにした。

翌早朝、僕は一人でデリーを発つことにした。宿から駅までの道は真っ暗で、やたら不気味だ。犬がその辺で野垂れ死んでいるかと思ったら、ふらふらと舌を出しながら僕のほうに近づいてくる。ただでさえ犬が苦手な僕は、あまりの恐怖に、サイクルリクシャー(リクシャーの自転車バージョン)を見つけると、すかさず捕まえてニューデリー駅まで乗ってくことにした。地上から数十センチ高いところに座っているだけで、さっきとはまるで違う安堵感を感じる。

Dscn3091まだ夜も明けぬ早朝だというのに、すでに駅は人だらけだった。電光掲示板と列車のチケットを見比べながら、ホームを探す。よくわからず、何度もホームと掲示板を行ったり来たりする。8割の確率で「ここだろう」と、目星をつけたホームの適当な階段に座って待っていると、アナウンスが流れ人々が大移動をし始める。

Dscn3093よくわからず、「なんや、なんや」とチョロチョロしてると、どうやら急に列車の発着ホームが変わったらしい。

ホームの掲示板にようやく乗車リストが貼られ、必死になって自分の名前を探した。

間もなく列車が到着したが、列車№がチケットと微妙に違っていたので、焦りながら、「これはアグラ行きか?アグラ行きか?」と尋ねまくってから、乗り込んだ。

自分の席に着いた瞬間が何より安心だった。

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2008年4月19日 (土)

記事再開のお知らせ。

こんにちわ。

書くと言っておきながら、

結局、投稿が滞ってしまいました。

就職活動が終盤まで来ましたので、また再開したいと思います。

ところで、僕が昨年完走したサハラマラソンから一年が経ちました。

レース結果が発表されてました。↓

http://www.runners-wb.org/race/race01_08.htm

今年は芸人の間寛平さんが参加し、完走されたようです。

そのドキュメンタリー番組が明日4月20日14:00~15:25にテレビ朝日で放送です。絶対見逃せない。

番組名:「間寛平58歳!酷熱地獄サハラマラソンに挑戦 ~見果てぬ地球一周の夢をかけ~」 ↓

http://www.runners-wb.org/mm/mm080414.htm

レースに参加された方々、お疲れ様でした。

完走された方、おめでとうございます。

次こそはちゃんと旅日記書きます。

ばいなら、ならばい。

<runoahさん

めっちゃ元気です。お待たせしました、再開します。次回の旅は夏になるでしょう。どこ行くか迷ってます。

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2008年2月24日 (日)

インドとネパールのぺーじ

インド・ネパールの旅の記録

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2008年2月17日 (日)

runoahさんへ

こんにちは

日記を書くと言いながら、滞ってしまっているぐちぉです。

インドは1年前のことなので、思い出して整理するのに少し時間がかかってます。まぁ自業自得ですが。

ところでタイトル記載の

~runoahさんへ~

CD・DVD届きました。ありがとうございました。

runoahさんのメールアドレスに何度メールを送ってもエラーになってしまうので、失礼ながら公開でお礼を申し上げます。

runoahさんには、

アタカマクロッシング(南米チリのアタカマ砂漠200km以上横断レース)のCDとゴビマーチ(中国のゴビ砂漠200km以上レース)のCD・DVDを送って頂きました。

私が撮影したものではないので、ブログに公開することはできませんが、私が唯一知るサハラ砂漠とは、気候や足場の条件などで大きく異なるようです。

上記記載の2つのレースはRacing The Planetという砂漠に特化したアドベンチャーマラソンの運営機関が開催しているものです。(URL下記参照)

http://www.racingtheplanet.com/shop/

Racing The Planetの一番のウリというか、ゴールは南極約230kmのレースだそうです。

そして、世界にはまだまだマニアックなレースがたくさんあるようです。

見つけ次第、当ブログに流します。

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