なんやかんやいうても
僕の故郷は大阪府堺市のとある団地であることに変わりない。
そこを発ってから、早いもんで18年になる。
こないだの10月初め、豪州から帰って間もなく、むしょうにあの地が気になったので夜行バスで行ってみたときのことやけど。
最寄の駅だったとある地下鉄の出口付近にはでっかいデパートが建ち、周辺には自分の記憶にはない賑わいがあった。
大通りから一本細い道に入るだけで、一気に自分の記憶が蘇ってくる。
そこはまぎれもなくふるさとやった。
僕が生まれた○○病院はなに一つ変わっていない。
病院近くのさらに細い道に入るとそこは団地区域への入口となっている。
その入口には僕が毎月通っていた理容店ササ(通称ササさん)が残る。
店に入るといつも「いらっしゃい」と言われ、一番手前の席にひょっこり座る。僕は5分としないうちにこくこくと寝始める。目覚める頃には、髪は1ヶ月前と同じように短くなっている。最後に顔剃り。顔いっぱいに温かいシュワシュワの泡を塗られるのがとても気持ちいい。終わったら1000円を渡して飴をもらって、満足げに帰る。
眠ってた記憶が鮮明によみがえる。
でもその先に団地はなかった。そこにはマンションという名の近代建築の象徴がそびえたつ。
その団地は僕のすべてやった。
すべての人間関係はそこで育まれ、すべての娯楽がそこにある。何をするにも団地の友達や兄ちゃん姉ちゃんが一緒。その世界こそが自分の幸せやった。団地の外の世界は何も知らない。断片的にデパートや駅や英会話スクールは知ってても、それらと団地との関係性は一切わからない。団地を一歩出ると、自分ひとりではどこへもアプローチできないのである。もちろんそのことに問題や不満は一切ない。団地がすべてやったから。
その団地がもうない。
僕はササさんの前を抜けて団地区域に入るのを諦めて、外界から眺めた。
かつての団地は田んぼの向こう側にある。
かつては家の窓からよく眺めていた田んぼを反対側から見てみると、それは僕の記憶にある大きさ・面積の半分もなかった。
たぶん僕の体が大きくなったからではない。(残念ながら僕の体はさほど大きくならなかった)
まさに僕が生きる世界観が拡がってるんや。
この18年でいろんなことが変わってしまった。
駅前みたいにたぶんこれからも変わり続ける。
そして、あの田んぼは変わった僕を映し出す鏡となる。
鏡に映った自分を見て、変化を実感し、現実を知る。
でも○○病院やササさんみたいに変わらないこともある。
団地みたいに変えたくなかったことかってある。
40歳になったらまた戻ってこよう。
そんときはどんな田んぼが広がってんのか・・・




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